【葉隠拾い読み】忍ぶ恋は恋愛至上主義へのアンチテーゼ?

『葉隠』の聞書第二の〇二三五には中には山本常朝にとっての至極の恋(究極の恋)が語られています。

戀の部りの至極は忍戀也 戀死なむ後の煙にそれと知れ終にもらさぬ中の思ひはかくの如き也 命の内にそれと知らするは深き戀にあらず 思死の長けの高き事限りなし たとへ向より斯様にてはなきかと問はれても全く思ひもよらずと云ひて唯思死に極むるが至極也

“誰かに恋してもそのことは表に出さず「もしかしてあの人のこと好きなんじゃないの?」とか言われても「ええ?そんなことありませんよ。」と否定して、死んで荼毘に付されたその煙を見ていた人が「ああ、やっぱりこの人は、あの人のことが好きだったんだなあ」と始めて知れる”様な恋愛が至極の恋なんだそうです。
厳しいですねえ。つらい!辛すぎる!

(これって一面「プラトニックラブ」の様にも思われますが、厳密にはちょっと違います。
プラトニックラブは愛を精神と肉体とに分けて考え、精神の愛は肉体の愛よりも素晴らしいという考え方から、肉欲を伴わない精神の愛を貫こうと考える考え方のことを指す場合が多いようです。
逆に言えば、肉体的な接触が無ければ恋愛をすること、その想いを告白したり言葉を遣り取りしたりすることは問題ないと考えられます。そのためか昔の欧米の小説なんかには「愛している女性とはプラトニックラブを貫きつつ性欲は商売女と済ませるのはOK」なんていう、なんだか“酒を般若湯と呼んだ”みたいな匂いのするお話も散見されますね。閑話休題。)

山本常朝は、想いを告げることどころか、その気配を悟られることもダメと言ってます。
恋愛は告白してなんぼな昨今では違和感のある考え方の様に感じます。
でも「恋愛は隠すもの」「恋愛を悟られるのは恥」という感覚は、一昔前の地方の男子高校なんかだと(特に応援団なんかに)普通に残っていたようにも思うのです。
いわゆる「硬派」ですね。
今では道行く女性を遊びに誘うことの意味でしか使われない「ナンパ」は、元々「硬派」に対する「軟派」だったわけですが、「軟派」と呼ばれないためには、女性に対する興味・関心、もちろん恋愛感情も一切表に出さないことが求められていました。
「バンカラ」なんていう言葉もありましたね。
明治期に洋風の事物や立ち居振る舞いを取り入れる「ハイカラ」に対するアンチテーゼとして登場した言葉だそうで、「見た目の華美さではなく、粗野・粗暴の中に精神的な質実剛健さを行動で表そう。」とする考え方から、着古した学生服・破れた帽子・マント・高下駄・手ぬぐいという様なスタイルを貴しとしたのですが、ふた昔前位にはまだいた番長キャラの原型となったものです。

「硬派」も「バンカラ」も懐かしい言葉になってしまいましたね。
同じように「忍ぶ恋」もまた古びて消えていくものなのでしょうか。

ところで、

山本常朝が葉隠を口述したのは江戸時代中期、口述を始める前年1709年に生類憐みの令で有名な徳川綱吉が死去していますが、四代将軍家綱~五代将軍綱吉の治世にはいわゆる「元禄文化」が花開いています。
松尾芭蕉や井原西鶴、近松門左衛門などが輩出した時代で、歌舞伎狂言、人形浄瑠璃、落語などが登場した時代でもあります。
井原西鶴の「好色一代男」の様に性をあっけらかんと肯定的に捉えた作品、近松門左衛門の「曽根崎心中」や「女殺油地獄」の様な恋愛の情念を描き上げた作品が人気を博し、吉原では紀伊国屋文左衛門らが豪遊に豪遊を重ねていたような時代の果てに『葉隠』が口述されています。
『葉隠』はこうした時代へのアンチテーゼという意味合いが強いものだったのだと思うのです。「ハイカラ」に対する「バンカラ」の様に。

今は昔ですが2000年代に起こった「純愛ブーム」は、それ以前の「失楽園」や「東京ラブストーリー」などのドラマに代表される「恋愛のためなら何でもあり」に対する反動的な意味合いがあったと思うのですが、たぶんその根底にも実はこの「忍ぶ恋」のエッセンスが存在したのではないかと思うのです。

「忍ぶ恋」が「至極」かどうかは一旦横に置くとして、「恋愛は告白してなんぼ」な昨今だからこそ、見直してみる価値がある感覚なのではないでしょうか?

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