【葉隠拾い読み】忍ぶ恋は恋愛至上主義へのアンチテーゼ?

『葉隠』の聞書第二の〇二三五には中には山本常朝にとっての至極の恋(究極の恋)が語られています。

戀の部りの至極は忍戀也 戀死なむ後の煙にそれと知れ終にもらさぬ中の思ひはかくの如き也 命の内にそれと知らするは深き戀にあらず 思死の長けの高き事限りなし たとへ向より斯様にてはなきかと問はれても全く思ひもよらずと云ひて唯思死に極むるが至極也

“誰かに恋してもそのことは表に出さず「もしかしてあの人のこと好きなんじゃないの?」とか言われても「ええ?そんなことありませんよ。」と否定して、死んで荼毘に付されたその煙を見ていた人が「ああ、やっぱりこの人は、あの人のことが好きだったんだなあ」と始めて知れる”様な恋愛が至極の恋なんだそうです。
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【葉隠拾い読み】『葉隠』とは生かすことと見つけたり(←独断)

龍登園のある佐賀市大和町の松梅地区周辺は日本の武士道を語る上で欠かせない『葉隠』が生まれた地でもあります。
『葉隠』と言えば有名なのは「武士道といふは死ぬ事と見附けたり」の一節が有名です。
三島由紀夫もこの書を愛読し解説本などを書いていますが、その人生に大きな影響を与えたことは彼の最期を見ても明らかであるように思われます。
そんなためか、この言葉に代表される「滅私奉公」「峻厳な自己犠牲」の部分だけが大きくクローズアップされがちな様に思います。
確かにそうした思想は色濃いのですが、本当にそれだけの、つまり「ただ自殺する」ことを推奨しただけのものだったのでしょうか? “【葉隠拾い読み】『葉隠』とは生かすことと見つけたり(←独断)” の続きを読む

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