【お知らせ】龍登園は日本赤十字社を応援しています


日本赤十字社は、幕末・維新期に活躍した“佐賀八賢人”の一人「佐野常民(さのつねたみ)」が創設した「博愛社」がその起源となっています。
「博愛社」創設のきっかけは維新後最大の内乱となった西南戦争でした。

征韓論を巡る政変などもあり故郷の薩摩に下野した西郷隆盛の下に、維新後の凋落に不満を抱えていた士族たちが集結していました。
一方でそうした不満士族たちを一網打尽にする機会を狙っていた大久保利通は、様々な手で挑発を行い「決起させて叩き潰す」を繰り返していました。西南戦争に先駆け明治七年に、佐賀で江藤新平や島義勇らを旗頭とした「佐賀の乱」が発生していますが、
この当時西郷はこれに呼応しようとはしませんでした。あくまで士族たちを抑える側だったのです。

しかし明治十年、政府は薩摩の反乱を想定し、現地の武器倉庫から銃弾等の移送を行おうとします。
また、政府から送り込まれていた密偵が捕まり「西郷を刺殺する」目的で来たと自白するにいたり、薩摩の士族たちの怒りが爆発し「政府の罪を問う軍を興すべし!」という意見に西郷も反対することが出来ず、自分が旗頭となって進むことを受け入れます。
一方、これを重く見た大久保利通は当時動かせる兵力を総動員してこれに当たり、斯くして南部九州を舞台に血で血を洗う激しい西南戦争の火蓋が切って落とされました。

この戦いは銃や大砲などを使用した近代的な戦いであり、7ヶ月に及ぶ激戦で政府軍、薩摩軍、両軍あわせて約1万4千人が命を落としました。
せっかく維新を経て「同じ日本の国民」となった同士が殺し合う悲惨な状況。
その状況を憂えた佐野常民は、かつて佐賀藩代表としてパリ万博に参加した際に知った、スイス人アイリー・デュナンの提唱する赤十字思想を思い出し、「敵の傷者も差別なく救う」という趣旨の下、元老院議官の大給恒と共に救護組織「博愛社」の創設を目指します。

しかし当初、この設立趣旨は政府から認められませんでした。敵も救う組織って言うことですからね。
佐野常民は、激戦中の熊本の司令部に赴くと、征討総督有栖川宮熾仁親王に直接、博愛社設立の趣意書を差し出し直訴します。
その熱意に感じ入った有栖川宮熾仁親王は英断をもってこの博愛社の活動を許可します。
この日から、博愛社=日本赤十字社は活動をはじめ、西南戦争における負傷者救護活動以来、国内外における災害救護をはじめとし、苦しむ人を救うために幅広い分野で活動しています。

当館では常時フロントデスクに日本赤十字社の募金箱を用意しています。

また、東日本大震災の際や、熊本地震の際には、それぞれ義援金付きのプランをリリースしましたし、現在「【利用人数に応じて寄付】日本赤十字社活動支援★一泊朝食プラン」を販売しております。
このプランでは、ご利用の大人1名辺り500円、小学生及び食事・寝具ありの幼児のお子様1名あたり200円を、宿泊売上から日本赤十字社に寄付させて頂きます。

よかったらぜひご利用頂き、日本赤十字社の活動に応援願います。

※この記事は投稿日時時点の情報です。継続的な情報更新は致しません。最新の状況についてはお問合せご確認下さいますようお願いいたします。