【法宴豆知識】「供養になるから」ってどういうこと?


お葬式やご法要などの際、決まり文句としてよく使われるのが「供養になるから」という言葉。
でもこれってどういうことを表しているんでしょう?
ご存じの方も多いかとは思いますが、今回は「供養」についてのお噂をば。
(写真は法事会場セットの一例)

まず「供養」とはなんでしょう?
「供え養う」という言葉通り食べ物や飲み物をお供えし養うことなのですが、いったい誰を養うんでしょう?
ご法要の場合、そこに参加された方々が養われるのです。
ではなぜそれが故人様のためになるのでしょうか?

本来魂は輪廻転生を繰り返すと言われます。
もちろん人とは限らず、動物や虫やプランクトンなどあらゆる生き物に転生する可能性があります。
それもただ転生するだけではなく、過去世で繋がった縁や抱えた業を引きずりながら生まれ変わり死に変わりします。
その転生した生の中で、その生なりの生老病死の苦しみを繰り返します。

その救いのない連鎖から解き放たれた状態が仏の状態です。
仏に成るには、修行し瞑想し学び功徳を積み、悟りを開くことが必要とされています。
しかし、現在人間である者からすると修業も瞑想も学びも功徳を積むことも「やろうと思えばできる」本人次第のことのように感じますが、上述したように輪廻転生は必ずしも(と言うか殆どの場合)人間に生まれ変わるとは限りません。
また、仮に人間に生まれたからと言って、必ずしも出家や修業や瞑想や学習し功徳を積むことができる環境に生まれるとは限りません。
仏についてあれこれ考えたり出来る現状は、実はものすごく低い確率でしか得られない奇跡的な状況なのです。

「成仏して下さい」と私たちは気軽に祈り、また、死んだ途端故人様は仏様になったような気でいるけど、故人が次の生で功徳を積める状況に生まれるとは限らないのです。
虫やケモノとして生まれて、仏を目指して修業などできるでしょうか。(出来るかもしれませんが、出来ないかもしれません。)

そこで登場してくるのが「供養と回向」です。

ご法要の際、仏の教えを読経し、説話などで学び、また法宴でお料理を用意し参加した皆さんに食べて頂くことは、仏に近づくための功徳となります。
つまり供養は、まずは供養する本人自身の修業みたいなものなのです。

その上で、僧侶は読経の際「この功徳を故人に回向する」と唱えます。
回向とは、簡単にいえば自分が積んだ功徳を他の命の功徳に振り替えることです。
こうすることで、故人の魂はたとえ何に生まれ変わっていたとしても、遺族の供養によって功徳を積むことが出来ます。
「供養=故人のため」ではなく「供養=みんなのため→その功徳を故人に回向」するから故人のためになるのです。
日本では先祖信仰と仏教が絡み合っているため、亡くなった方の魂はそのままお墓やお仏壇にあるような感覚がありますが、仮にそうだとしても仕組みは一緒です。

そして回向には、功徳を増幅させる側面があります。
故人に功徳を回向しても、供養した本人の功徳が無くなるわけではありません。
「故人のために功徳を回向した」ことの功徳が生まれるわけですね。
等価交換の原則から言ったらありえない話ですが、魂の世界ではありえるんですね。

だから、「供養になるから」という言葉を聞いた時、あるいは語る時は、それが本人や故人のために発せられていないか、用意したものが本当に皆さんに喜んでもらえるものなのかを、ちょっとだけ考えて見て頂けたらと思います。

当館でもご法宴プランをご用意させて頂いておりますが、いつも、一人でも多く方の笑顔が見られるお席となるようにと願いながら、お手伝いをさせて頂いております。

※この記事は投稿日時時点の情報です。継続的な情報更新は致しません。最新の状況についてはお問合せご確認下さいますようお願いいたします。