【佐賀で体験】江里山の棚田は9月後半が見頃です


写真は当館から車で(通常時期なら)20分ほどの小城市江里山にある初秋の棚田の風景です。(小城市観光協会さんからお借りしました。)
9月の後半の佐賀ではこんな風景を楽しむことが出来ます。

江里山は天山山系の南側の中腹、標高250mに位置する山懐にある集落です。
ここが開かれたのは天文年間(1532-1554)と言いますから今から約480年位前。

天文年間のトピックスと言えば、
天文10年(1541年)甲斐の武田晴信(後の信玄)が父を追い出し武田家の当主となる。
天文12年(1543年)種子島にポルトガル船が漂着し鉄砲が日本に伝来。
天文17年(1548年)長尾景虎(後の上杉謙信)が上杉家の家督を継ぐ。
天文18年(1549年)美濃の斎藤道三の娘 濃姫が尾張の織田信長に嫁ぐ。同年三河の松平領が今川義元の手に落ち、松平竹千代(後の徳川家康)が人質として今川の元に降る。
…と言った感じで、「信長~秀吉~家康」という戦国時代のクライマックスに至る手前、戦国華やかなりしその裏で、終局への準備が始まっている時代と言えるでしょう。

佐賀に目を向ければ、平安時代末期からの歴史を持ちながら衰退の一途をたどっていた少弐氏と、それに代わって台頭してきた龍造寺氏との入れ替わりが決定的になった時代です。

天文5年(1536年)大内義隆の命を受けた陶興房の攻撃を受け少弐資元自害。その子冬尚は蓮池城に落ち延びる。
天文7年(1538年)鍋島直茂誕生。
天文9年(1540年)少弐冬尚が龍造寺家兼ら家臣団の助けを借りて少弐氏を再興。
天文14年(1545年)龍造寺氏の台頭対し不信感を持つ少弐氏の家臣馬場頼周により、龍造寺家兼の2人の息子と4人の孫が誅殺される。家兼は辛くも柳川に落ち延びる。
天文15年(1546年)龍造寺家兼は鍋島直茂の父清房らと共に挙兵し、馬場頼周を討ち龍造寺氏を再興。曾孫の隆信に水ヶ江龍造寺家の家督を継ぐよう遺言して死去。
天文16年(1547年)龍造寺隆信が水ヶ江龍造寺家の家督を継ぐ。(家中の意見が分かれたため最後はくじ引きで決定した)
天文17年(1548年)龍造寺隆信が龍造寺本家の家督を継ぐ。同年、隆信の生母 慶誾尼が正室を亡くした鍋島清房の継室として嫁いだ。これによって龍造寺隆信と鍋島直茂のつながりは強くなった。

こちらもまた「龍造寺-鍋島」の時代への助走が始まった切った張ったの時代でした。
そんな戦いの絶えない巷から逃れた人々が生き延びるために開いたのが江里山の棚田だったのかもしれません。

この後、龍造寺はどんどん勢力を伸ばし龍造寺隆信は「肥前の熊」と呼ばれるほどになりますが沖田畷の戦いをきっかけに鍋島直茂が家中をまとめて戦国時代を乗り切り、江戸時代の鍋島藩へと続いていき…

閑話休題。

そんな天文年間に開かれた江里山の棚田は全部で600枚ほど。
四季折々で独特な風景を見せてくれますが、特に初秋には棚田の土手に植えられた彼岸花が一斉に色づき燃え上がるような紅と稲穂の緑のコントラストに彩られた風景を見せてくれます。
その美しさから、日本の棚田百選(平成11年農林水産省認定)、全国農村景観百選(平成3年農林水産省認定)、22世紀に残す佐賀県遺産(平成20年度佐賀県認定)等にも選ばれています。

江里山の棚田については小城市のこのページが詳しいです。

龍登園では、この棚田を鑑賞して頂くための現地までの送迎をセットにした宿泊プランをご用意させて頂きました。
送迎はホテル15:30出発。棚田の「江里山鑑賞広場」までお連れします。
現地滞在は30分程度を予定しています。

但し、3日前までに事前予約を頂け無かった日は運行をいたしません。また、混雑が予想される「江里山ひがん花まつり」が行われる9/22と雨天等の悪天候の日も運行を中止させて頂きます。

ご興味のある方はぜひこちらからプランをご確認下さいませ。
【9/16-30限定】彼岸花が輝く小城・江里山の棚田鑑賞プラン


※この記事は投稿日時時点の情報です。継続的な情報更新は致しません。最新の状況についてはお問合せご確認下さいますようお願いいたします。

こんな記事もいかが?


“【佐賀で体験】江里山の棚田は9月後半が見頃です” への1件の返信

コメントは受け付けていません。